HIROSHIMAwalk

3駅歩き。向洋駅

今回のルート。向洋駅から徒歩で新白島駅まで歩きで散歩しました。約8.45kmを3:30くらいで途中書店などでぶらぶらしている感じです。

向洋駅からのスタート

向洋駅(むかいなだ)の近くにMAZDAの博物館があると気づき、ぜひ行ってみたいと思いましたが、予約制と知って今回はやめました。しかし、その辺りから歩くのがちょうどいいかなと思い、この駅をスタート地点にしました。

向洋駅の歴史と周辺環境

向洋駅(むかいなだえき)は、広島県広島市南区に位置するJR西日本の山陽本線の駅です。1920年(大正9年)に開業し、地域の産業発展とともに重要な役割を果たしてきました。

歴史

  • 開業と発展: 向洋駅は、広島の工業化に伴い設置されました。特に、東洋工業(現在のマツダ)の工場が近隣に建設されたことで、労働者や資材の輸送拠点として機能しました。
  • 戦時中の役割: 第二次世界大戦中は、軍需工場へのアクセスが重要となり、駅の利用がさらに増加しました。
  • 戦後の再興: 戦後は地域の復興とともに駅も再建され、周辺の住宅地開発やインフラ整備が進みました。

周辺環境

  • マツダ本社・工場: 駅のすぐ近くにマツダの本社や主要な工場があり、専用の歩道橋で直接アクセスできます。多くのマツダ社員が通勤に利用しており、駅と企業が密接に連携しています。
  • マツダミュージアム: 自動車の製造工程やマツダの歴史を学べる施設です。最新の技術や過去の名車を見学でき、自動車ファンには必見のスポットです(※事前予約制)。
  • マツダ病院: 地域医療の中心的存在であり、先進的な医療サービスを提供しています。

マツダ創業から向洋地区への移転

調べてみるとこの向洋地域での営業ももう90年くらいになるようです。すごいですね。

  • 1920年(大正9年)
    マツダは**「東洋コルク工業株式会社」**として広島市で創業。当初はコルク製品の製造を行っていました。
  • 1921年(大正10年)
    社名を**「東洋工業株式会社」**に変更し、機械工業へ進出。
  • 1930年代初頭
    自動車産業への本格参入に伴い、生産拠点の拡大が必要となりました。
  • 1934年(昭和9年)頃
    現在の**向洋地区(むかいなだ)**に本社機能と主要な工場を移転。この時期から、マツダの本社は向洋駅周辺に位置するようになりました。

マツダのある街並み

MAZDAの本社が近いだけあって、街中にはマツダ車がかなり多いです。駅前には大きなマツダ病院があり、薬局も「Zoom-Zoom」しています。しばらくマツダの横の歩道を歩いていると、塀が崩れそうなところがあって少し気になりました。車の通りも多いです。

暑さと徒歩の魅力

看板には気温35度の表示。健康的に汗をかきたいと思ってわざわざ出かけているので問題ありませんが、数字で見ると「けっこう暑いな」と感じます。普段はクーラーで過ごすことが多いので、不便さをあえて感じに行っています。

当然ですが、飛行機や電車、自動車などを眺めながら歩いていると、「徒歩こそが原点だな」と思います。仕事や買い物、旅行など目的を持って移動する際は快適な方がいいですが、運動という観点から見るとそれらはあまり体を動かしませんからね。

広島駅前を目指して

しばらく歩くと、遠くにとても大きな広島駅前のタワーマンションが見えます。今回はあれよりも先まで歩こうと思っているので、遠いといえば遠いですが、「まあ行けるだろう」と以前より気楽に思えます。

猿猴川沿いの道

水辺を見たくなり、川沿いの道へ出ました。ここは「猿猴川(えんこうがわ)」というそうで、暑さもあって、この日は駅からほぼ誰も歩いていなかったので、そういった意味では快適でした。自販機もコンビニも全然ない感じで、唐突にスターバックスが現れたので、眺めながら通り過ぎました。

猿猴川(えんこうがわ)の概要

猿猴川は、広島県広島市を流れる一級河川で、太田川の分流の一つです。広島市の中心部を流れ、広島湾に注いでいます。全長は約6.3kmで、市民の生活や産業、文化に深く関わっています。

歴史

  • 名前の由来: 「猿猴川」の名前は、昔この地域に「猿猴」(猿のような姿をした伝説上の生き物)が出没したという伝承に由来すると言われています。
  • 戦時中の役割: 第二次世界大戦中、猿猴川は防火帯としての役割を果たしましたが、原爆の影響を受けました。
  • 戦後の復興: 戦後は川の浚渫や護岸工事が行われ、周辺地域の復興とともに再整備されました。

中心部への進行

だんだんと中心部に近づき、広電と一緒に近代的な駅前のタワーマンションを撮ろうかと思いましたが、広電が全然来ないので諦めました。駅前の工事も進んでいるようです。

調べてみると左がシティタワー広島で、右がグランクロスタワー広島っていう名称みたいです。私は左のシティタワー広島のほうが見た目や色が好きですね。前に一度BIC CAMERAに行くために隣接の駐車場を使用したのですが、その駐車場がこのタワーマンション居住者用への一部なっているのか、高級車のオンパレードとなっていて壮観でした。

シティタワー広島

  • 概要:
    • シティタワー広島は、広島駅南口に直結する地上52階建て、高さ約190メートルの超高層タワーマンションです。
    • 2016年に竣工し、広島市内でも有数の高さを誇ります。
  • 特徴:
    • 駅直結の利便性: 広島駅とペデストリアンデッキで直結しており、新幹線や在来線、路面電車へのアクセスが非常に便利です。
    • 眺望: 高層階からは広島市内や瀬戸内海、遠くは宮島まで一望できるパノラマビューが楽しめます。
    • 設備: コンシェルジュサービスやゲストルーム、スカイラウンジなどの充実した共用施設が備わっています。
    • 商業施設: 下層階には商業施設が併設されており、ショッピングや食事にも便利です。

グランクロスタワー広島

  • 概要:
    • グランクロスタワー広島は、広島駅新幹線口(北口)に位置する地上46階建てのタワーマンションで、高さは約166メートルです。
    • 2020年に竣工し、広島駅周辺の再開発プロジェクトの一環として建設されました。
  • 特徴:
    • 交通アクセス: 広島駅新幹線口から徒歩2分という抜群の立地で、通勤・通学に非常に便利です。
    • デザイン: 外観はガラスカーテンウォールを採用したスタイリッシュなデザインで、夜間には美しくライトアップされます。
    • 共用施設: フィットネスルーム、ゲストルーム、ライブラリーラウンジなど、多彩な共用施設を提供しています。
    • 環境配慮: 最新の省エネルギー設備を導入し、環境に優しい設計が施されています。

八丁堀方面へ

今回は中心部を通ることもあって、大型書店にも寄ろうと思い、八丁堀方面へ歩きます。広電はいろいろな車両の種類が豊富でいいですね。本屋に着く頃には人通りも増え、外国人の姿や自転車も増え、少し歩きにくくなってきたので、その後の移動ルートは少し脇道に逸れました。

原爆関係の写真にも広電の車両が出てくるように、戦前より開業しているのですね。すでに100年を経過しているし、物凄い歴史深いです。街にも色々な発展の仕方がありますね。

創業と初期の発展

1910年(明治43年)創立

  • 広電は、1910年に「広島電気軌道株式会社」として設立されました。
  • 1912年(大正元年)に最初の路面電車が開通し、広島市内の重要な交通手段として機能し始めました。

路線網の拡大

  • 1920年代には、市内中心部から郊外への路線拡張が進み、地域の発展に寄与しました。
  • 1935年(昭和10年)には宮島線が開通し、観光地である宮島へのアクセスが可能になりました。

戦時中と原爆投下

戦時下の広電

  • 太平洋戦争中、広電は物資や人員の輸送に重要な役割を果たしました。
  • 戦時体制下での資材不足や人手不足にもかかわらず、運行を続けました。

原子爆弾の被害と復旧

  • 1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、広電も甚大な被害を受けました。
  • 多くの車両や施設が破壊されましたが、生き残った社員たちの努力により、被爆からわずか3日後の8月9日には一部区間で運行を再開しました。
  • この早期復旧は、市民に希望を与え、復興の象徴となりました。

戦後の復興と発展

路線と車両の近代化

  • 1950年代から1960年代にかけて、路線の復旧と拡大、新型車両の導入が進みました。
  • 古い車両の更新や冷房設備の導入など、サービス向上に努めました。

観光地とスタジアム

原爆ドームも近く、外国人観光客が多いのも納得です。日本銀行や広島県庁を横目に歩みを進めると、「エディオンピースウイング広島」が現れました。こんなに立地の良い場所にスタジアムを建設できるのはすごいです。近くには広島城があり、見える集合住宅は「市営基町高層アパート」というようです。こういった時代を感じる集合住宅は雰囲気がとても良いですね。

広島市営基町高層アパートについて

もうすぐ築50年くらいみたいです。広島城は1958年に復元されたようなので、この並び、見た目は全然違うけども年代は同じようです。不思議な光景。

広島市営基町高層アパートは、広島市中区基町に位置する大規模な市営住宅団地です。1968年から1972年にかけて建設され、戦後復興と都市再開発の一環として重要な役割を果たしました。総戸数は約4,000戸で、当時としては国内最大級の高層住宅でした。

歴史

  • 戦後復興と都市計画
    原爆によって壊滅的な被害を受けた広島市は、復興のための大規模な都市計画を進めました。基町地区はその中心的な場所で、住宅不足を解消するために高層アパートの建設が決定されました。
  • 建設の背景
    被災者の住居確保と都市機能の近代化を目的に、政府や自治体の支援を受けてプロジェクトが進行。高度経済成長期の技術と資材を活用し、大規模な集合住宅が実現しました。

建築とデザイン

  • 設計者
    建築家の大高正人氏や槇文彦氏など、著名な建築家が設計に関わりました。
  • 構造と特徴
    14階建ての高層棟が複数あり、プレキャストコンクリート工法を採用。住戸は多様な間取りがあり、住民のニーズに合わせた設計がされています。

餃子フェスティバルと新白島駅

あともう少しで駅というところで、歩道沿いで「餃子フェスティバル」をやっていて、とても通りにくかったです。私にはまったく縁がないため、素通りしました。

新白島駅の前には別の駅があり、その建物はとても特徴的です。アストラムライン側の新白島駅ですね。JR新白島駅に着いたと思ったら、ホームが完全に分かれていて、乗り場間の移動も改札に入ってからはできないようで、少し戸惑いました。

アストラムラインは2024年で30年目のようでした。

広島のアストラムラインについて

アストラムラインは、広島市で運行されている新交通システム(自動案内軌条式旅客輸送システム)で、広島高速交通株式会社が運営しています。1994年(平成6年)8月20日に開業し、広島市の中心部と郊外を結ぶ重要な交通手段となっています。

路線と駅

  • 路線名: 広島新交通1号線
  • 総延長: 約18.4キロメートル
  • 駅数: 全22駅
  • 起点・終点: 本通駅(広島市中区)から広域公園前駅(広島市安佐南区)まで

歴史

  • 建設の背景: 広島市の都市化と人口増加に伴い、渋滞の緩和と公共交通の充実が求められました。特に、市中心部と安佐南区のベッドタウンを結ぶ交通機関の必要性が高まっていました。
  • 開業: 1994年8月、第12回アジア競技大会の開催に合わせて開業しました。
  • 名称の由来: 「アストラムライン」は、「Astram」という造語で、「Astrum(ラテン語で星)」と「Tram(路面電車)」を組み合わせたものです。

特徴

  • 新交通システム: ゴムタイヤを使用した案内軌条式の電車で、自動運転システムを採用しています。
  • 高架構造: 全線が高架または地下区間で、道路交通と交差しないため定時性が高いです。
  • 環境に優しい: 電気を動力とし、騒音や振動が少なく、環境負荷が低いです。

帰宅

最後に「Red Wing」に乗って帰宅しました。

最近、特別なことをしたり車で出かけたりする気にならなくなったのは、年齢を重ねて経験が積み重なり、すでに多くのことを体験済みだからかもしれません。そんな中で歩くことを始めました。目的もなく、ただぶらぶらと歩けるのが幸せで、フェスや流行の料理にはあまり興味がありませんが、知らない街を歩くことが自分にとっては行動力を高めてくれ、そんなことが何となく良いような気がします。

先週購入したニューバランスのCM996UL2を本日履いて歩きましたが、全然足が痛くならなかったです。ウォーキングにもおすすめです。次回はどこへ行こう。(AmazonでCM996はこちら)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です